政治に意見する意義

2日前,集団的自衛権の行使容認が閣議決定されました。 これに関して僕の周りでも様々な意見が出ています。 そんな中,いくつか気になる言葉があったので,これについて少し考えてみたいと思います。 それは,政治に関して「よくわからないから意見すべきではない」,「意見しても何も変わらないからするだけ無駄」,あるいは「口だけじゃなくデモ等の具体的な行動をしろ」というものです。

まず前提として,為政者にとって何よりも都合がいいのは僕たちが「意見しない」ことです。 そのような状態では,政治は為政者自身の利益のために行われ,その代償として不利益を被るのは僕たちです。 僕たちは自身の自由のために「意見」せねばなりません。

しかし,意見するだけではダメ,つまり「口だけじゃなくデモ等の具体的な行動をしろ」というのは的外れだと思います。 民主主義社会において,「行動」とは参政権を行使することに他なりません。 つまり,投票に行くか政治家になるかということです。 そして,他人の票を強制することができない以上,僕たちにできるのは「意見する」ことで自分の正しさを他人に問うことだけです。 デモはその「問い」の一形態であり,そこに優劣は存在しません。 あるとすれば,間違いに立ち向かうエネルギーの違いでしょう。

民主主義においては,政治に対するエネルギーの違いは考慮されません。 政治について一生懸命考えている人も,何も考えていない人も,その一票は等しい重さを持ちます。 だからこそ,前者は意見を伝え問うことで,後者に考えてもらおうとするのです。 しかし,このやり方では政治はすぐには変わりません。 それを見て,「意見しても何も変わらないからするだけ無駄」というシニシズムに陥る人がいます。 この根底にあるのは,現在の政治システムそのものが間違っているという考えです。 実際,民主主義の困難については「アローの不可能性定理」を筆頭に様々な理論があります。 それでも,僕たちは歴史から学んだ結果,民主主義を選択しました。 その経緯も知った上で「民主主義は悪だ」というのであれば,それも一つの正しさです。 ただし,日本でその意見を通すには憲法を変えなければならず,それまでは民主主義の土俵の上で戦うしかないのです。

結局,僕たち市民にできるのは投票含め「意見する」ことであり,それこそが民主主義国家において政治に参加する唯一最善の方法なのです。 そして,「よくわからないから意見すべきではない」ということは決してありません。 そもそも僕たち人間の能力では,全ての利害を考慮して行動することなどできません。 「問題を完全に理解した上で意見する」ことなどありえないのです。 僕たちは自分の周りにあるローカルな情報をもとに,自分の意見を形成するしかありません。 しかし,各人がそれぞれ自身のローカルな情報に基づいて意見し議論し合えば,より広範な利害を考慮した意見を形成することができるはずです。 そして,このプロセスを繰り返せば,よりよい「世論」を形づくることができるのではないでしょうか。

ハーバーマスはこのように人々が議論し合い,世論を形成する空間を「公共圏」と呼びました。 そして,結局のところこのような「公共圏」を構築するには,僕たちひとりひとりが政治に関わろうという意志を持つ他ないと思います。 しかし,政治は決して僕たちに無関係なものではありません。 僕たちが自身の生や自由について考えた時,必然的に現れてくる問題です。

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