理系に転身する僕が大学改革について思うこと

横浜国立大学教授,室井尚さんの「国立大学がいま大変なことになっている」という記事を読んで思うところがあったので,この文章を書いています。

以前も書きましたが,僕は今4回生で大学院へ進学するつもりでいます。 ただし,現在の僕の専攻は社会学で,進学を希望する大学院は情報系です。 僕は文系から理系へと転身しようとしています。 といっても,僕は高校では理数科でしたし,現在も学部の副専攻制度を利用して情報系をかじっているので,無茶な選択というほどではありません。 大学院へ行こうと思ったのは,文系として就活することが僕には向いていないと感じたのと,大学という空間が好きでもう少し勉強したいと思ったからです。 では,なぜ主専攻の社会学ではなくて副専攻の情報系に進学するのか。 もちろん僕の意志であるわけですが,その背景にはある社会的要因があります。

理系と違って,文系で大学院にまで進学することは一般的とは言えません。 それゆえ,文系で進学するならば,なぜ他人と違ったことをするのか,その理由・動機が問われます。 仮に僕が社会学で進学するとすれば,「社会学が面白くて,もっと勉強したいから」と答えるでしょう。 しかし,多くの場合この答えでは納得されず,怪訝な顔をされてしまいます。 なぜなら彼らにとって「学ぶこと」そのものには価値がなく,学ぶことがいかに社会に「役立つか」が重要だからです。 「役立つ」というは社会の問題を解決するのに「役立つ」ということであり,問題というのはほとんどが「お金儲け」のことです。 室井さんの記事中の「文学部なんて一種の贅沢品」という表現からも,人文科学系がお金儲けに役立たない趣味の領域だと思われていることが分かります。 そして,「グローバルな理工系人材」こそがお金儲けに役立つのであり,国を挙げてそういう人材の育成に投資しているのが現状です。 僕は確かに情報系の研究がしたいと自分自身の意志で決めました。し かし,こうした社会状況でなくてもそう決断しただろうかといわれれば,正直僕には分かりません。

そして,このような金儲け主義の科学技術信仰が支配的になるのは危険なことだと僕は思います。 なにも資本主義や科学技術の発展そのものを批判しようというわけではありません。 資本主義や功利主義の論理は僕のような素人に手が出せるものではありませんし,僕がこうして生活してブログを書くことができるのもひとえに科学の進歩のおかげです。 僕が問題だと思うのは多様性の欠如です。 理工系が人文系を淘汰し学問の多様性が失われる,なんて言いたいのではありません。 ここでの多様性とは,価値観の多様性です。 グローバル化とは全世界の資本主義化であり,「お金儲け」を絶対の正しさとする価値観が支配的になることを意味しています。 お金儲けが絶対の正しさでないことは分かりきったことであり,絶対の正しさが持つ危うさは僕が改めて指摘するまでもありません。 もちろん,価値観の多様性は衝突を生みます。 この衝突は多数決的な安易な民主主義で解決できるものではありません。 ある意味,絶対の正しさを決めてしまうことは衝突をなくす楽な方法だといえるでしょう。 しかし,この楽さに流れることなく,多様な価値観に基づいて盛んに議論する事こそが,未来を考える上で最も必要なことだと僕は思います。

そして,これまでは大学がそういった議論が自由に行える空間でした。 しかし,大学がお金儲けを目的とする機関となり,俗世間の価値から逃れられる空間を確保できないとなれば,それこそ「このままでは未来はない」僕もそう思います。

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