テッド・チャン『息吹』
- SF
テッド・チャン『息吹』は、大森望訳、2019年刊行の9編を収めた短編集。 以下は、印象に残った作品のメモ。
商人と錬金術師の門
読んだときは、過去改変が行われない決定論タイプのよくあるタイムトラベルものか、と思った。 ただ、最後の作品ノートを読むと「アインシュタインの相対性理論と矛盾しないタイムマシン」とのことで、なるほど、と思った。
息吹
SF短編の最高峰のひとつだと思う。 「あなたの人生の物語」といい、どこからこんな発想が生まれるんだ。
予期される未来
「予言機」というワンアイデアの短い一編。予言機は、「ボタンを押す一秒前にライトが光る」小さな装置。
自由意志を持っているという経験はあまりに強固なので、議論ひとつで覆されることはない。それを覆すために必要なのは実体験であり、予言機がそれを提供する。
ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル
AI の権利の話とか、人間と AI のあいだの愛の話といってしまうとよくある話に聞こえてしまうが、これは一味違う。 作品ノートの次の一節がわかりやすい。
AIに法的な権利を与えるべきだと登場人物が主張する小説はいくつもあるが、そういう小説は、大きな哲学的疑問に焦点をあてる一方、世俗的な現実をなおざりにしている。
この作品はその「世俗的な現実」に焦点を当てている。
経験は最上の教師であるばかりか、唯一の教師でもある。もしアナがジャックスを育てることでなにか学んだとすれば、それは、近道などないということだ。この世界で二十年生きてきたことから生まれる常識を植えつけようとすれば、その仕事には二十年かかる。それより短い時間で、それと同等の発見的教授法をまとめることはできない。経験をアルゴリズム的に圧縮することはできない。
偽りのない事実、偽りのない気持ち
個人の経験がすべて記録され、容易に検索可能になった場合に起こる変化について。 攻殻機動隊の外部記憶装置みたいな「リメン」というソフトウェアが出てくる。 並行して走るティブ族の話がこの作品のテーマを際立たせている。
あるテクノロジーが人間の認識を変革した最新の例とその次の例とのあいだになんらかの類似点が見出だせるかもしれない
オムファロス
「若い地球説」が考古学的に正しいと確認されていたら、という if の話。
いくつかの面は、容易に想像できる。成長輪を持たない木々、縫い目のない頭蓋骨。しかし、夜空について考えはじめると、この問いに答えるのはかなり困難になる。
不安は自由のめまい
量子力学の多世界解釈とそれに伴う自由意志の問題をテーマにした作品。 多世界解釈を取り扱ったSFはうさんくさいものが多いが、この作品の「プリズム」という機械はかなりそれっぽい説明がなされている。 特に、単一の量子事象がどのくらい歴史の流れに影響しうるかについて、ピーター・シリトンガの実験がとてもわかりやすかった。
ヒトラーが権力を手にするのを阻止したいと思っている仮想的な時間旅行者がいたとして、最小限の介入は、ゆりかごの中にいる赤ん坊アドルフを窒息死させることではない。必要なのは、アドルフが受胎する一カ月前に時間遡行し、酸素分子一個を動かすことだけ。