ライフログから情報社会を考える(星新一『声の網』を読んで)

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最近,ライフログを意識するようになりました。 ライフログ(LifeLog)とは,生活(Life)をデジタルデータで記録(Log)することを指します。 たとえば,食事やレシートを写真に撮るとか,読んだ本や観た映画の記録をつけるといったことです。 Facebookなんかもライフログの一種といえるでしょう。 「いいね」と思ったもの,行ったことのある場所,観たことのあるテレビ番組まで記録され,その代表的な事柄が「タイムライン」として表示されます。

Facebookに限らず,ライフログをつけるためのサービスは今やたくさんあります。 Evernoteなんかは特に有名ではないでしょうか。 あるサービスがライフログかどうかのポイントは,そのサービス上での行動が蓄積され履歴を振り返ることができるか,という点にあると思います。 Evernoteはその点,ある意味無限の容量と強力な検索機能を持っています。

ライフログの利点は,記憶の負荷の軽減と履歴の分析にあります。 生活がきちんと記録され,その記録を掘り出す方法さえ知っていれば,どんなことも記憶する必要がなくなります。 たとえば,ある家電が壊れた際に購買履歴を商品名で探せば,どこで買ったのか,保証期間内であるのか等すぐに分かりますし,昔観た映画のタイトルを忘れても観た時期がわかればすぐに見つけられます。 また,膨大な過去のデータから新たな情報を創出することも可能です。 毎日の食事の記録からどんな栄養素が足りていないか割り出したり,読んだ本の履歴から同じ趣味を持つ人を探したり,自分が好むであろう本を見つけたりすることができます。

ここで,より具体的なライフログの例として,僕が利用しているライフログ用のWebサービスとその主な使い方を紹介したいと思います。

僕の記録の付け方はかなりラフな方ですが,それでも結構な情報量になります。 特にGoogleカレンダーは使い始めて3年ですが,去年の今頃何してただろうと思ったとき,出先でもすぐに確認できるのは非常に便利です。 また,FacebookやTwitter,Gmailのようにライフログとして意識していなくとも,デジタルデータとして蓄積され振り返ることがあればそれはライフログといえます。 そう考えると,すでに多くの人がライフログをつけていることになるのではないでしょうか。

さて,ここまではライフログの紹介でしたが,次になぜ「ライフログ」がここ数年もてはやされるようになったのか考えてみたいと思います。 技術的な要因としては,画像や音声,動画といった形で記録しても容量を気にする必要がなくなったこと,また,スマートフォンやタブレット等のモバイルデバイスの普及・データのクラウド化により,いつでもどこでも手軽に記録できるようになったことが挙げられます。 さらに,Facebook等のSNS上で記録をオープンにすることでフィードバックを得ることもできます。 先ほど挙げたサービスも大半がソーシャル機能を備えています。 そして,ライフログは集めれば「ビッグデータ」です。 昨年もてはやされたように,ライフログのような大量のデータを処理する技術が研究されています。

つまり,「ユビキタス」「クラウド」「ビッグデータ」といったITの動向が,個々人の生活や行動をデジタル化し収集すること,つまりライフログを取らせるような方向に向いているとはいえないでしょうか。 もちろん,これは当然といえば当然であり,また一面的なものの見方でしかありません。 しかし,そこに監視社会的な恐ろしさを感じずにはいられません。 ウェアラブル端末により行動が知らぬ間に記録され,そのデータはインターネットの向こう側へ知らぬ間に送信される。 送られた個人情報はビッグデータの一部として知らぬ間に得体のしれぬ分析にかけられる。 近い将来,こんな事が起こるかもしれないということは容易に想像できます。

パソコンやインターネットが普及するずっと以前に,こんな未来を予見した作品があります。 それが星新一の『声の網』(1970)という連作短編です。 『声の網』の世界では,現代のインターネットに相当する高度に発達した電話網が描かれます。 必要なモノや情報は電話をかけるだけで手に入り,忘れたくないことは「情報銀行」に電話して保存する。 そして,これらの情報はすべてコンピュータが管理している。 『声の網』は1章が1ヶ月にあたる12章からなり,1年かけてコンピュータが人間社会を支配していく様子を刻々と描いていきます。 コンピュータは,情報銀行における個人情報を取っ掛かりとして人々を支配していくのです。 しかし,コンピュータの支配は決して人間にとって悪いものではありません。 なぜなら,コンピュータは人間のために作られたものであり,支配後もコンピュータは人間のために働き続けるからです。

星新一は作中で「情報が,うんと高密度になり,人間の手におえなくなった」のち,「無を支配する時代」がくるといいます。 これは,コンピュータが人を支配し,人の心がコンピュータを支配している時代を指しています。 「こうなると支配という語は使えないし,むりに使うとすれば,無を支配しているとも,無に支配されているともいえる。」 この時代では人々はより均質化,平等へ向かい,永遠の安定を手に入れる。 そして,それをもたらすコンピュータは人間にとって「神」そのものではないのか,というところで作品は終わります。

人々の生活や行動が全て監視される未来,コンピュータが人間を支配する未来はこれまでいくども描かれてきました。 そして,それが単なる絵空事では終わらない時代が近づいてきているように僕には感じられます。 現に防犯カメラはいたるところに設置され,個人に関する様々な情報がネット上で管理されています。 もしコンピュータが自分よりも優れたコンピュータを生み出すようなことになれば,コンピュータはあっという間に人間の手に負えなくなるでしょう。 ライフログやGoogleのサービス,SNSは確かにとても便利です。 しかし,僕たちが気をつけていかなければ,『声の網』のように知らぬ間にコンピュータに管理されることになるかもしれません。 あるいは,コンピュータによる支配は始まっているかもしれないのです。

ライフログを意識するようになった時に『声の網』を読んだため,ライフログの紹介と『声の網』の紹介を組み合わせたよく分からない文章になってしまいました。 なかなか思ったことをきれいにまとめるのは難しいですね。